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定義がちゃんとある

昔話と伝説は同じような物ですが、実は明確な違いがあります。
今回は、みなさんご存知「桃太郎」を例に説明していきます。

桃太郎伝説とは

日本各地には昔話「桃太郎」のもととなったと考えられる伝説が多く残っています。
今回はその中から最も有名な岡山県の桃太郎伝説を紹介します。
まだ日本が「古墳時代」だった時、時の天皇「崇神天皇(すじてんのう)」によって「吉備の国(きびのくに)」(岡山県南部)に住む鬼、「温羅(うら/おんら)」の討伐を「吉備津彦命(きびつひこのみこと)」に命じます。
「温羅」は身の丈4メートルを超える巨体に瞳は血の色、髪は赤毛でグルグルと渦巻いており、里の女や子どもをさらっては釜茹でにして食べてしまうと言います。
その住処は、「鬼ノ城(きのじょう)」(岡山県総社市)という山の上に築かれた城でした。
討伐を命じられた「吉備津彦命」は「崇神天皇」より三人の部下を与えられます。その三人とは、「犬飼武命(いぬかいたけるのみこと)」(イヌのモデル)「楽々森彦命(ささもりひこのみこと)」(サルのモデル)「留玉臣命(とめたまおみのみこと)」(キジのモデル)です。部下を率いて吉備の国へとやってきた「吉備津彦命」は「吉備の中山(きびのなかやま)」に陣を構えました。
その翌朝、「温羅」をはじめ多くの鬼が住む「鬼ノ城」へ向けて一斉に矢を放ちました。その後、激戦の末遂に「吉備津彦命」は「温羅」の首をとりました。その首は里にある木の上にさらしました。しかし、首は夜になるとうめき声をあげます。
それが何年も続き村人たちも「温羅」の怨念を恐れて噂するようになりました。そこで「吉備津彦命」は「犬飼武命」に相談し、「温羅」の首を犬に食べさせてその骨を「吉備の中山」の麓にある「茅葺宮(かやぶきのみや)」の土かまどの下に埋めました。ところがうめき声はおさまりませんでした。
それから数年後「吉備津彦命」の夢に「温羅」が表れました。「温羅」は自身が鬼ではなく、朝鮮半島にある「百済」の王子であったが戦に敗れ「新山」に逃れた渡来人であること、新山の麓に「阿曽の里(あぞのさと)」という里がありそこへ行くように告げました。
「阿曽の里」(現総社市阿曽地区)へ行った「吉備津彦命」は「阿曽男(あぞお)」という人物に出会い「温羅」について尋ねました。
すると、「百済」の技術で里を豊かにした「温羅」は里の人々に親しまれていました。さらに、「阿曽男」の姉である「阿曽媛(あぞひめ)」とも結婚しており里の人々と共に穏やかに暮らしていました。
本当の「温羅」を知り「吉備津彦命」は深く後悔し「阿曽男」と「阿曽媛」と共に「吉備の国」を守っていくことを決意するのでした。

昔話「桃太郎」とは
みなさんこちらの話はご存知だと思いますが、簡単に紹介します。面倒かと思いますが、以下の文書と先ほどの桃太郎伝説の違いは何かを考えながらお読みください。途中で気づければかなり衝撃を受ける伏線があります。
むかしむかし、ある所におじいさんとおばあさんがいました。おじいさんは山へ柴刈りにおばあさんは川へ洗濯に行きました。おばあさんが川で洗濯をしていると大きな桃がどんぶらこ どんぶらこと流れてきました。おばあさんは、その桃を持ち帰り、その晩おじいさんと一緒に食べようと桃を切ると中から男の子が出てきました。二人はその男の子を桃から生まれた「桃太郎」と名付け、自分たちの子供として育てました。そして、大きくなった桃太郎は、都で鬼が悪さをしていることを知り鬼退治を決意します。おばあさんからもらった「きびだんご」を腰につけて旅へと出ます。途中「イヌ」「キジ」「サル」を家来にして遂に鬼が住む鬼ヶ島へとたどり着きました。そして、鬼を退治して金銀財宝を持ち帰ったとさ。めでたしめでたし。
ちなみにこの昔話は、鎌倉時代から南北朝時代ごろに成立したとされており、江戸時代には「桃太郎絵巻」という絵巻物もありました。
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ここまで見てわかった違い

伝説では「古墳時代」「吉備の国」「鬼ノ城」「茅葺宮」など時間や場所が明記されています。
昔話では「むかしむかし」「ある所に」など時間も場所もわかりません。
つまり、時間と場所がわかるものは伝説で、わからないものが昔話です。
また、伝説では固有名詞(赤字で大きい文字)は実在する又はその可能性があるものです。

まとめ
・時間と場所がわかるかどうかで判別ができる
・時間と場所がわかれば伝説
・時間と場所がわからなければ昔話

桃太郎電鉄 ~昭和 平成 令和も定番! ~
コナミデジタルエンタテインメント
2020-11-19


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