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日本と西洋の庭の違い
日本と西洋では庭の形式が違います。その違いは見る人の視点の位置です。
下の図で簡単に説明します。

西洋の庭は、ディズニーランドのシンデレラ城をイメージしてください。庭が一番きれいに見えるのは建物の上から見下ろす形です。
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対して日本の庭は、縁側に腰掛けて庭と同じ高さから庭を含めて遠くに見える山なども一緒に見る形です。
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これは神に対する西洋(キリスト教)の考え方と日本の考え方の違いが要因となっています。

神に対する考え方
簡単に言えば立ち位置の違いです。
西洋(キリスト教)文化では、神の下に人がいて、その下に自然があります。
西洋モデル1

西洋モデル2

それに対して日本文化では、神の下に人と自然すなわち森羅万象全てのものがあります。
日本モデル1

日本モデル2

そのため、西洋の庭は人の下にあり、日本の庭は人と同じ高さにあります。

神へと至る
西洋では神と人と自然の間には大きな壁があり、神は唯一無二の存在で、人や自然は神へと至ることはありません
しかし、日本においては「八百万の神々」と言われるように数多の神が存在しています。それは神とその他の境界は曖昧であり、次々と神が誕生しているからです。つまり、人や自然が神化することによっても神が誕生します。
どういうことかというと、歴史上の人物などはその死後、神として祭られることがあります。例としては、日光東照宮の徳川家康や太宰府天満宮をはじめとした天満宮の菅原道真などがこれに当たります。
また、家や集落単位でも亡くなった先祖を祖霊としたり、山の神や海の神のように自然を神として信仰することがあります。
このように日本においては人や自然は神になる可能性があり、信仰形態によっては神になるために修行する人々もいます。

妖怪へと至る
本ブログにて紹介した「妖怪って何?」において妖怪と神は本質的には同じで人に対して有益であれば神で害悪であれば妖怪と説明しましたが、その考え方から面白いことがわかります。
人や自然が神へと至ることができるように人や自然が妖怪へと至ることも可能ではないかと考えられます。
実際に有名な話では、長く生きた猫や狸が化け猫や化け狸という妖怪になったり、菅原道真や崇徳上皇など無念の死を迎えた人物が怨霊になる事例もあります。
また、民間レベルでは、せいじゅうろうという人物がある日を境に行方不明になり数年後、鬼となって帰ってきたという話もあります。
このように庭を比較するだけでもその思想や死生観が垣間見ることができるというお話でした。

まとめ
・西洋の庭は見下ろし型、日本の庭は人と同じ目線
・西洋の神は唯一無二、日本の神は八百万
・日本では人や自然が神にも妖怪にもなる

今回は民俗学的な記事となりましたが、民俗学という学問は自分たちのことをよく知り生活に潤いをもたらす学問です。
良ければ、読者登録よろしくお願いいたします。

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